アゴスティーニ122勝15冠|半世紀破られない記録の中身
世界GP通算122勝。世界タイトル15回。
マルケスもロッシも、ついに届かなかった数字がある。1977年に現役を退いてから約半世紀、いまだ「史上最多」の座に君臨し続ける男——ジャコモ・アゴスティーニ。イタリアでは今も敬愛を込めて「アゴ(Ago)」と呼ばれる。
2スト500ccの時代を語るとき、この男を避けて通ることはできない。なぜなら彼こそが、4ストローク最後の王者であり、同時に2ストローク最初の王者でもあるからだ。時代の境界線を、たった一人でまたいだ男。それがアゴスティーニである。
公証人の勘違いから始まった伝説
アゴスティーニは1942年6月16日、イタリア北部ブレシアに生まれ、ベルガモ近郊の町ロヴェーレで育った。4人兄弟の長男。家は比較的裕福だったが、父はレースに猛反対だった。
有名な逸話がある。当時、未成年がレースに出るには親のサインが必要だった。アゴスティーニは父の知人である公証人のもとを訪れ、「チクリズモ(自転車競技)をやりたい」と伝える。公証人は「いいスポーツじゃないか」と父を説得し、サインを取り付けた。——そのサインが、実はモーターサイクルレースの許可証だったことに父が気づいたときには、もう手遅れだった。
丘を駆け上がるヒルクライム競技で腕を磨いた若者は、1963年、モト・モリーニでイタリア175cc選手権を制覇。その走りは名門MVアグスタを率いるドメニコ・アグスタ伯爵の目に留まり、1965年、当時の絶対王者マイク・ヘイルウッドのチームメイトとしてワークス入りを果たす。
そして初陣となった西ドイツGP350ccクラス。舞台はニュルブルクリンク、7.7kmの南コース(ズュートシュライフェ)。22歳の新人は、いきなり優勝してみせた。
皇帝の時代〜500cc 7連覇〜
1965年末、ヘイルウッドがホンダへ移籍。エースの座を継いだアゴスティーニは、1966年に500ccで初タイトルを獲得すると、そこから1972年まで7年連続で500ccを制覇する。350ccでも1968年から74年まで7連覇。1968年から72年までは5年連続で両クラス完全制覇という、もはや異次元の記録を打ち立てた。
特に1968年から70年にかけての3シーズンは、350ccと500ccのほぼ全レースを勝つという圧倒的な支配ぶりだった。
だが、その強さは「敵がいなかったから」と揶揄されることもある。1967年末にホンダがGPから撤退し、MVアグスタに対抗できるマシンが消えたのは事実だ。しかし1967年、ホンダに乗るヘイルウッドとの死闘を思い出してほしい。両者5勝ずつ、ポイントも並び、2位の回数(アゴ3回、ヘイルウッド2回)でタイトルが決まった伝説のシーズン。あの戦いを制した男が「弱い者いじめの王者」であるはずがない。
長身痩躯に甘いマスク。白いシルクのスカーフをなびかせてパドックを歩く姿は、レーサーというより映画スター。実際、母国イタリアでは映画にも出演し、国民的スターとして扱われた。
決別、そして2ストロークへ
栄光の陰で、時代は確実に動いていた。ヤマハ、スズキ、カワサキ——日本の2ストロークマシンが、じわじわと4ストの牙城に迫っていたのだ。
1973年、MVアグスタにフィル・リードが加入し、チーム内の力学が変化。この年の500ccタイトルはリードの手に渡り、アゴスティーニの連覇は「7」で止まった。
そして1974年、世界が驚くニュースが駆け巡る。アゴスティーニ、MVアグスタを離れヤマハへ移籍。
イタリアの至宝が、イタリアの名門を捨てて日本メーカーの2ストマシンに乗る——当時の衝撃は、後年ロッシがホンダからヤマハへ移った時の比ではなかったと言われる。移籍初戦のデイトナ200では、若き日のケニー・ロバーツらを相手にいきなり優勝。同年350ccタイトルも獲得し、「アゴは2ストでも速い」ことを世界に証明した。
そして1975年。YZR500を駆るアゴスティーニは、古巣MVアグスタのリードと最終戦までもつれる激闘を制し、史上初めて2ストロークマシンで500ccタイトルを獲得する。これが彼の15個目、そして最後の世界タイトルとなった。
この1975年シーズンの詳細は、来週のシーズンレビューでたっぷり語りたい。
最後の勝利もまた、ニュルブルクリンク
1976年、アゴスティーニは古巣MVアグスタのマシンにも再び跨がる。そして西ドイツGP、ニュルブルクリンクで優勝。これが彼自身のGP最後の勝利であり、MVアグスタの、そして4ストロークマシンの500ccクラス最後の勝利となった。
1965年、初勝利を挙げたのもニュルブルクリンク。1976年、最後の勝利もニュルブルクリンク。11年の時を経て、伝説は同じ場所で円を閉じた。
1977年限りで二輪から引退。その後は四輪(英国F1選手権など)に挑むも大成せず、1982年からはマルボロ・ヤマハの監督としてパドックに帰還する。エディ・ローソンを擁して500ccタイトルを3度獲得するなど、指揮官としても一流であることを証明した。
エピローグ〜王の中の王〜
122勝、15タイトル、500ccでの68勝と8タイトル。マン島TT10勝。
数字だけ見れば「敵なき時代の王」に映るかもしれない。だが彼は、ヘイルウッドと真っ向勝負で勝ち、時代が2ストに傾けば自ら2ストに乗り換えてまた勝った。安全のためにマン島TTと決別する決断も下した(この話は第3週で詳しく)。
強さと、華やかさと、信念。三拍子揃った男を、人はこう呼ぶ。
——King of Kings。王の中の王、ジャコモ・アゴスティーニ。
来週の第2週は、2ストが初めて世界の頂点に立った1975年シーズンを徹底レビューします。