1970〜80年代、2ストローク500ccの世界グランプリを走った男達を、毎月1人ずつたどる読み物です。

ロン・ハスラム:15歳、年齢を偽ってグリッドに立った男

ロン・ハスラム

ライダー列伝(改訂版)
「ロケット・ロン」〜 15歳、年齢を偽ってグリッドに立った男 〜

1972年、イングランドのカドウェル・パーク。
グリッドに並んだ一台のノートン・コモンドーに、ひとりの少年がまたがっていた。エントリー用紙の年齢欄には、嘘が書いてある。
本当は15歳。レースに出られる年齢に、まだ達していない。
それでも彼は走った。規則より、本能が我慢できなかったからだ。
この少年が後に「ロケット・ロン」と呼ばれ、世界グランプリのグリッドに立つことになる——ロン・ハスラム。
その原点は、ルール違反から始まっている。

血の中にレースが流れる一家

1956年6月22日、ハスラムはダービーシャー州ラングレー・ミルに生まれた。かつて炭鉱業で栄えた労働者の町。10人きょうだいの大家族で、少年は14歳からバイクいじりに没頭していた。
レースの世界へ導いたのは兄のテリーだった。最初に乗ったマシンも、兄のシーレー・フレームのノートン・コモンドー。ハスラム家にとってレースは趣味ではなく、血の中を流れる何かだった。
そしてこの一家は、その代償も知ることになる。
兄テリー、そして兄フィル。二人の兄は、レース事故でこの世を去った。
それでもロンはバイクを降りなかった。降りられなかった、と言うべきかもしれない。兄を奪ったその世界で、彼は走り続けることを選んだのだ。「狂気のマシンに命を賭けた男達」というこのシリーズのタイトルを、これほど文字通りに生きた一家は他にないだろう。

「ロケット」の由来

ハスラムの異名「ロケット・ロン」。その由来は、スタートの鋭さにある。
シグナルが変わった瞬間、彼のマシンだけが別の物理法則で動いているかのように飛び出していく。力強く押し出し素早くマシンにまたがると、誰よりも早く第1コーナーに突っ込んで行く——スタートは一瞬にすべてを賭ける勝負であり、ハスラムはその一瞬の天才だった。
勢いはスタートだけではない。1978年前後には125、250、500、1000cc、スーパーバイク、F1マシンと、あらゆるカテゴリーのマシンを乗りこなし、1日で5つの異なるレースを制覇するという離れ業をオウルトン・パークでやってのけた。しかも同じ年、カーナビーでもう一度やってのけた。
どんなバイクでも、渡されれば速い。この「何でも乗れる」才能こそ、後にハスラムのキャリアを決定づけることになる。

世界へ——シルバーストーンの転倒から

ハスラムのグランプリ・デビューは1977年、地元イギリスGP。シルバーストーンをスズキの500ccで走った初戦は——転倒リタイアだった。
華々しいデビューとは程遠い。だが、ここから彼は這い上がっていく。
国内ではブリティッシュ・チャンピオンシップを次々と制し、1979年にはTT-F1世界タイトル、1980年にはTT-F3世界タイトルを獲得。マカオGPでは通算6勝という記録を打ち立てた。市街地の壁すれすれを攻めるマカオで6勝——これが何を意味するか、レースを知る人ほど分かるはずだ。
そして1983年。ホンダはハスラムをワークス体制に迎え入れる。チームメイトは、あのフレディ・スペンサー。500ccグランプリのフル参戦が始まった。

「世界最高の開発ライダー」

グランプリでのハスラムを語るとき、勝利数だけを見ると本質を見誤る。
彼の真価は、どんな異形のマシンでも乗りこなし、その声をエンジニアに伝える能力にあった。3気筒の異端児NS500。フロントフォークすら持たない前衛マシン、エルフ・ホンダ。JPSノートン。誰も乗ったことのないバイクばかりが、なぜか彼のもとに集まってくる。
「世界最高の開発ライダー」——ハスラムはそう評された。
普通のライダーなら「乗れない」と投げ出すマシンを、彼は走らせ、磨き上げ、戦えるレベルに育てる。エルフでの挑戦については、第3週でたっぷり語りたい。

父から息子へ

物語には続きがある。
2000年、ル・マン。フランスGPのパドックに、ハスラムの姓を持つライダーがもうひとりいた。500ccクラスには父ロン。125ccクラスにはその
息子レオン。親子が同じグランプリに同時出場した、史上唯一の例とされる。
レオンはその後ワールドスーパーバイクで活躍し、ハスラムの名を次の時代へ運んだ。兄たちの死を乗り越え、自らも数え切れない転倒と骨折を越えて、ロンは家族でレースを続ける道を選んだ。ドニントンパークで長年運営したレーシングスクールでは、妻アンとともに次世代のライダーを育て続けた。
バイクが奪ったものと、バイクが与えたもの。その両方を抱えて、ロン・ハスラムは今も笑っている。

おわりに

15歳で年齢を偽ってまで走りたかった少年は、電子制御も安全装置もない時代を2スト500ccで駆け抜けた。
チャンピオンのタイトルこそ最高峰クラスでは手にしていない。だが「タイトルがすべて」なら、グランプリの歴史はずいぶん薄っぺらいものになる。ハスラムのような男がいたからこそ、あの時代は狂おしいほど面白かったのだ。
来週は、彼が戦った1983年——スペンサーとロバーツが火花を散らした伝説のシーズンに分け入っていく。

次回:第2週「シーズンレビュー」
🏍️「2スト500cc〜狂気のマシンに命を賭けた男達〜」
毎週金曜 22:00 更新

▶ 関連動画(YouTube)

来週は、彼が戦ったシーズンの記録を振り返る。数字の向こうに浮かび上がる、あの時代のグランプリの空気を感じてほしい。