1970〜80年代、2ストローク500ccの世界グランプリを走った男達を、毎月1人ずつたどる読み物です。

1983年シルバーストーン、止まらなかったレース

ロン・ハスラム

シーズンレビュー(改訂版)
1983年——光と影のシーズン。スペンサーとロバーツの死闘、そしてシルバーストーンに消えた二つの命

1983年の500ccグランプリは、歴史上もっとも語り継がれるシーズンのひとつだ。
ホンダの若きエース、フレディ・スペンサー。ヤマハの王者、ケニー・ロバーツ。二人のアメリカ人が最終戦まで繰り広げたタイトル争いは、今なお「史上最高のシーズン」の筆頭に挙げられる。
だが今回は、その眩しい光の話だけをするつもりはない。
光が強ければ、影も濃くなる。1983年のシーズンには、チャンピオン争いの熱狂の裏で、静かに語り継がれるべきもうひとつの物語があった。
舞台は、ロン・ハスラムの地元——シルバーストーン。

まず、光の話から

1983年、ホンダのワークス体制は強力だった。エースのスペンサーに、1981年王者ルッキネリ、片山敬済、そして新加入のロン・ハスラム。対するヤマハにはロバーツ、スズキにはディフェンディングチャンピオンのフランコ・ウンチーニがいた。
3気筒のNS500は前年からの熟成が進み、シーズンはスペンサーとロバーツの一騎打ちの様相を呈していく。若さと勢いのスペンサー。経験と技術のロバーツ。二人はコンマ数秒を削り合いながら、ヨーロッパを転戦していった。
ハスラムはその渦中で、ワークスライダーとしての初フルシーズンを戦っていた。チームメイトのスペンサーが「計算された速さ」なら、ハスラムは「感情の速さ」。同じNS500でも、走りのアプローチはまるで違った。
そして夏。コンチネンタルサーカスはハスラムの故郷、イギリスはシルバーストーンへとやってくる。

1983年7月31日、シルバーストーン

イギリスGPはシーズン第10戦。タイトル争いは佳境で、シルバーストーンには大観衆が詰めかけていた。地元のヒーロー、ハスラムにとっては一年でもっとも特別な週末だ。
500ccの決勝がスタートし、レースが動き始めた矢先——雨が落ち始める。
5周目、ストウ・コーナー。
一台のスズキが、明らかに遅いペースで走っていた。ライダーの名はノーマン・ブラウン。北アイルランド・ニューリー出身、24歳。前年のマン島TTでは初挑戦にしてシニアTTを制した、輝ける新星だった。
マシントラブル。ブラウンは速度を落とし、コースの内側に寄って、ピットへ戻ろうとしていた。
後方からは、レーシングスピードの集団が迫る。何台かはブラウンをかわした。しかし、前を走るライダーの陰になって、彼の姿が見えなかった一人がいた。スイス人ライダー、ペーター・フーバー。
回避する時間は、なかった。

止まらなかったレース

この事故には、続きがある。そしてその続きこそが、当時のグランプリの現実だった。
事故発生後もコースに示されたのはイエローフラッグとオイルフラッグのみで、レースはすぐには止まらなかった。赤旗が振られたのは6周目に入ってからとされている。ライダーたちはその間、事故現場の脇を走り続けていたことになる。
ブラウンは即死だった。フーバーはヘリコプターでオックスフォードの病院へ搬送されたが、助からなかった。
そしてレースは——再開された。
中断までの5周と、再開後の23周。二つのレースの合算タイムで順位が決まる方式だった。観客は帰らず、ライダーたちは再びグリッドに並び、アクセルを開けた。
仲間が二人、帰らぬ人となったその日のうちに。
これを「非情」と呼ぶのは簡単だ。だが安全対策が十分ではなかった当時のグランプリでは、死は現代よりも近くに存在していたのは確かだろう。一歩間違えれば死ぬかもしれない、ライダーたちはそれを知りながら、グリッドに並んでいた。このシリーズのタイトルにある「命を賭けた」という言葉は、比喩ではない。

ハスラムにとってのシルバーストーン

この日、ロン・ハスラムもホームグラウンドのグリッドにいた。
彼にとってシルバーストーンは、1977年にグランプリデビューを飾った(そして転倒した)因縁のコースであり、地元ファンの大声援を受ける約束の地だ。その特別な場所が、この年は二人のライダーの命を飲み込んだ。
ハスラム自身、兄二人をレース事故で失っている(第1週参照)。彼ほど「レースが命を奪うこと」を知っていた男はいないかもしれない。それでも彼は、この日も、そしてこの後も走り続けた。1983年のシーズンを、彼は完走したのだ。
速く走ることと、死と隣り合わせであること。この二つを同時に抱えて走るのが、あの時代の500ccライダーだった。

シーズンの結末

タイトル争いは最終戦までもつれ、僅差でフレディ・スペンサーが初の世界チャンピオンに輝いた。ケニー・ロバーツはこのシーズンを最後に、フル参戦から退いていく。
王者の交代劇として、1983年は永遠に記憶されるだろう。
だが、この年のリザルトシートの片隅には、シルバーストーンで途切れた二つの名前も刻まれている。ノーマン・ブラウン。ペーター・フーバー。チャンピオンの物語だけがグランプリの歴史ではない——それを忘れないことも、あの時代を語り継ぐ者の務めだと思う。
現代のMotoGPでは、コース上に停止車両があれば即座にフラッグ・システムが作動し、メディカルヘリは常時待機し、エアバッグスーツがライダーを守る。その安全は、彼らのような犠牲の積み重ねの上に築かれたものだ。

次回:第3週「パドック・エピソード」
🏍️「2スト500cc〜狂気のマシンに命を賭けた男達〜」
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注:動画の一部の音声が切れています。