1970〜80年代、2ストローク500ccの世界グランプリを走った男達を、毎月1人ずつたどる読み物です。

フロントフォークのないバイク「エルフ」とロン・ハスラム

ロン・ハスラム

パドック・エピソード
「あいつはどうかしている」〜 ロケット・ロンとフロントフォークのないバイク 〜

パドックという「もう一つの戦場」

グランプリのパドックは、レース結果には現れないドラマが無数に転がっている場所だ。
エンジニアとライダーの言い争い、ライバルチームへの探り合い、大怪我を隠して出走しようとするライダー——1970〜80年代のグランプリパドックは、今よりもはるかに「人間くさい」空間だった。広報担当もコンプライアンスもない時代、言葉も文化も違う男たちが、共通言語として「速さ」だけを持ち込んでいた。
そのパドックで、ロン・ハスラムはどんな男だったのか。

「あいつは怖くないのか」

ライバルライダーたちがハスラムについて語るとき、必ずと言っていいほど出てくる言葉がある。
「怖くないのか、あいつは」
ハスラムのブレーキングポイントは常識外れだった。「もう曲がれない」というポイントを過ぎてからブレーキを離し、アクセルを開ける。物理的に不可能に見えるのに、なぜかバイクはコーナーを抜けていく。
これは無謀ではない。ハスラムには、一般的なライダーが「無理」と判断するラインの先に、もう一段の余白が見えていたのだ。その余白を見つける感覚——これはトレーニングで完全に身につくものではなく、天性の部分が大きいとエンジニアたちは語ったという。

「フロントフォークのないバイク」に乗った男

ロン・ハスラムにとってエルフの話をせずに、彼のキャリアは語れない。
「エルフ」とは、フランスの石油会社エルフが主導し、ホンダのエンジンを得て進められた前衛的なモーターサイクル開発プロジェクトだ。1980年代、このプロジェクトは常識を根底から覆すマシンを世に送り出した。
最大の特徴は、テレスコピックフォークを持たないという点だ。
普通のバイクには、前輪を支えるフロントフォークがある。あの左右に伸びた筒が、路面の凹凸を吸収しステアリングを支える。バイクと言えばフォーク、フォークと言えばバイク——それが当たり前の常識だった。
エルフのマシンはその常識を捨てた。代わりに採用されたのがハブセンターステアリングと呼ばれる機構。操舵・制動・懸架の機能を分離することで、ブレーキング時の姿勢変化を大幅に抑えようという思想だ。フォークの場合、ブレーキの力はサスペンションを縮める方向に働き、姿勢も操縦性も刻々と変わってしまう。それを根本から解決しようとした、理論上は極めて合理的な設計だった。
ただし、理論と現実は別物だ。複雑なリンク機構は独特の操縦感覚を生み、煮詰めるには膨大な開発が必要だった。
その開発を託されたのが、ロン・ハスラムだった。
「フォークのないバイクをサーキットで走らせる」——その一文だけで、どれほど異質な体験だったかは想像できる。乗り慣れたバイクの感覚が通用しない。ブレーキングの挙動、コーナリング中の重心移動、加速時のフィードバック——すべてが既存の常識の外にある。
それをこなせるライダーがどれほどいたか。ハスラムが選ばれた理由は、第1週で触れた「どんなバイクでも乗れる」異常な適応力にあった。後年、彼が「世界最高の開発ライダー」と評された最大の根拠が、このエルフでの仕事だ。
さらに1986年には、エルフ500でフランスのバンク付きの専用コースにて速度記録に挑み、フライング1km・スタンディング1マイル・スタンディング10kmの世界記録を樹立したとされる。フォークのないバイクで、世界記録。この男の仕事は、いつも常識の外にあった。
エルフマシンは結果的にグランプリを席巻するには至らなかった。しかしその思想は後のモーターサイクル設計に確かな影響を残しており、「狂気の実験」と片付けるには惜しい挑戦だった。そしてその狂気の実験に、ロケット・ロンは正面から向き合ったのだ。

ホンダのエンジニアが見た男

NS500やエルフを共に磨いたエンジニアたちにとって、ハスラムは「特別なテスター」だった。
多くのライダーはマシンの問題をオーバーステアやアンダーステアといった技術的な言葉で説明する。ハスラムのフィードバックはもっと感覚的で、時に詩的でさえあった。「このコーナーでバイクが嫌だと言っている」——そういう表現が、エンジニアには逆に伝わりやすかったと回想される。
技術者と職人が同じ言語で話せない時代に、ハスラムはその橋渡しを感覚でやっていた。

転倒した翌周も全開で走る男

グランプリの世界では、転倒は日常だ。しかし転倒直後の心理状態でフルアタックを続けられるライダーは多くない。人間の本能として、「また転ぶかもしれない」という体験が脳裏をよぎる。
ハスラムはそれが人より薄かった、と言われている。転倒して起き上がり、スペアバイクに乗り換え、まるで何事もなかったかのように攻めていく。それを見たライバルが「あいつは何かが壊れている」と半ば本気で語ったという話は、パドックの伝説として今も語り継がれている。
これを「無謀」と切り捨てるのは簡単だ。しかし彼のキャリアの長さ、そして彼が生き抜いたという事実を見れば、そこには無謀を超えた何かがあったと考えるべきではないだろうか

パドックのロン・ハスラム

チームテントの中では笑いが絶えない男だったと言われる。
シリアスなライダーが多い中で、ハスラムはどこかユーモアを忘れない人物だった。それがチームの雰囲気を和ませ、緊張した状況でも周囲が力を発揮しやすい環境を作っていたとも言える。
速さだけではなく、その「人間力」がロン・ハスラムというライダーの全体像だった。
当時のバイクブームを牽引した漫画「バリバリ伝説」にも登場するロン・ハスラム。特にアメリカGPでの彼はユーモアがあり、特徴をとらえているのではないかと思います。探してみてくださいね。

次回:第4週「6月まとめ+翌月ライダー予告」
🏍️「2スト500cc〜狂気のマシンに命を賭けた男達〜」
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