1970〜80年代、2ストローク500ccの世界グランプリを走った男達を、毎月1人ずつたどる読み物です。

バリー・シーン:ドナルドダックを貼った7番のロックスター

バリー・シーン

〜ロックスターと呼ばれた男〜

グランプリの世界に、これほど時代と噛み合ったライダーがいただろうか。

1970年代のイギリスは、ロックが文化を席巻し、テレビがスポーツを大衆娯楽へと変えていった時代だった。そこへ颯爽と現れたのが、バリー・シーンである。ヘルメットにドナルドダックを貼り、カメラの前では饒舌に笑い、ピットレーンでは女優やモデルと並んで週刊誌を飾る。彼はライダーであると同時に、紛れもなくスターだった。

生い立ち〜父の背中を追って

1950年9月11日、ロンドン生まれ。父フランコ・シーンもまたオートバイレーサーであり、幼いバリーにとってバイクは生活の一部だった。父が愛用していた「7番」のゼッケン。バリーはそれを受け継ぐように自分のトレードマークとし、やがてその番号は彼の代名詞となる。

「ゼッケン7は父から引き継いだもの。それ以上でも以下でもない」

記録によれば、シーンはこの番号に格別な「縁起」を感じていたわけではなく、あくまで父への敬意と連続性の象徴だったとされる。しかしグランプリファンにとって「7番」は、やがてバリー・シーンそのものを意味するようになった。

ドナルドダックの秘密

彼のヘルメットにはドナルドダックのステッカーが貼られていた。怒りっぽくて、不運に見舞われながらも、決して諦めない。そんなドナルドのキャラクターに自分を重ねたのだ――とされるが、真相については諸説あり、定かではないが、いずれにせよ、そのトレードマークはグランプリ史上最も有名なヘルメットのひとつとなった。

悪夢のデイトナ、そして復活

1975年、ダイトナ・スピードウェイ。時速270kmを超えるコースで、シーンのバイクはタイヤのトラブルにより制御を失った。彼は路面を猛烈な勢いで転がり、その身体には無数の骨折が刻まれた。生命の危機とも言われたその事故から、わずか数週間、コース上に彼の姿はあった。鋼鉄の精神、あるいは無謀な意志。どちらの表現も的外れではない。

栄光と勲章

1976年、1977年と連続して500ccワールドチャンピオンを獲得。そのキャリアへの貢献が認められ、1977年末、大英帝国勲章(MBE)を授与された。なお一部では「サー・バリー・シーン」という表現も見られるが、MBEはナイト爵ではなく「Sir」の称号は伴わない。正確には「バリー・シーン MBE」である。

晩年と別れ

現役引退後、シーンはオーストラリアへ移住し、モータースポーツの解説者として活躍した。しかし2002年頃、がんの診断を受ける。病名は食道癌であった。愛煙家だったためそれが原因ではないかといわれたが、2003年3月10日、闘病虚しくその生涯を閉じることとなった。52歳の早過ぎる死であった。

グランプリを愛したファンは、ピットレーンで笑う彼を、きっと忘れることはないだろう。

来週は、チャンピオンとなった1976年と1977年のシーズンレビューをお届けします。お楽しみに。

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