バリー・シーン 1976-77|全身骨折から二年連続王者へ
シーズンレビュー〜1976・1977 頂点への軌跡〜
二年連続王者への道
1976年と1977年。バリー・シーンはこの両年で500ccグランプリの頂点に立った。
華やかなキャラクターの影に、驚異的な速さと戦略眼が潜ませ彼は単なるエンターテイナーではなく、間違いなく当代最速のひとりだったといえるだろう。
1976年シーズン
このシーズン、シーンはシリーズを通してスズキのワークスマシンを駆り、10戦中5勝しチャンピオンとなっている。前年のダイトナの大クラッシュから奇跡の復活を果たしてのタイトルの獲得。その精神的な強さはグランプリ史に残るものだった。
その年のライバルとして名前が挙がる、パット・ヘネンやかのジャコモ・アゴスチーニらを筆頭とする並いる強豪達、それらをねじ伏せてのチャンピオンの獲得であった。
1977年シーズン
このシーズンでシーンは連覇を達成することとなる。この年も前年に続きスズキのマシンを駆り、11戦中6度の優勝を飾った。
注目すべきは、彼が単純なスピードだけでなく、レースの組み立てとリスク管理においても際立っていた点だろう。クラッシュで生死の境をさまよった経験が、逆説的に彼に「勝ち続けるための計算」を植え付けたのかもしれない。
ライバルたちとの攻防
この時代の500ccグランプリは、国境を越えた才能が激突する舞台だった。イタリアの英雄アゴスティーニ、新興勢力のアメリカ人ライダーたち、そしてシーンを追うイギリス勢。グランプリはただのレースではなく、国家の誇りをかけた戦いでもあった。
その中でシーンは二年連続でナンバーワンの座を守り切った。それがどれほど困難なことか、この時代を知るファンならば痛いほどわかるはずだ。
時代の終わりへ
1970年代終盤から、ケニー・ロバーツを筆頭とするアメリカ勢が台頭してくると、シーンの活躍は徐々に影を潜めていく。しかし彼が獲得した2年連続のタイトル、グランプリを「ショー」へと昇華させた功績は色褪せることはないだろう。