アッセン、昏睡から生還したウンチーニ
1983年6月25日、オランダ・アッセン。前年に500ccクラス世界チャンピオンとなったフランコ・ウンチーニは、王者としてシーズンを戦うさなか、決勝レース序盤でコース上に投げ出された。このレースで何が起きたのか、そして彼がその後どんな2年間を過ごすことになったのかを、今回は追いかけたい。
この記事の内容
- 1983年6月25日、アッセンで起きたこと
- コース上で、起き上がろうとした瞬間
- 同じ年、シルバーストーンでも
- 1984年、レースに戻った男
- 1985年、最後のレース
- 王者から、守る側への入り口
1983年6月25日、アッセンで起きたこと
1982年に500ccクラス世界チャンピオンとなったウンチーニは、翌1983年もガリーナのチームでスズキに乗り、王者としてシーズンを戦っていた。迎えたのは第8戦オランダTT。会場のアッセンは、当時「バイカーズ・カテドラル(ライダーたちの大聖堂)」とも呼ばれたとされる、高速コーナーが連続する古くからのサーキットだった。
決勝レース序盤、ウンチーニは単独でハイサイドし、マシンから投げ出された。着地した場所は、コースのほぼ中央だった。この日のレースを制したのはケニー・ロバーツ、2位に片山敬済、3位にフレディ・スペンサーが続いたとされる。9月にこの連載で取り上げたロバーツが、まさにこの現場でハンドルを握っていたことになる。だが、ウンチーニのクラッシュそのものは、彼らの争いとは無関係の、単独の転倒から始まっていた。
コース上で、起き上がろうとした瞬間
コース中央に投げ出されたウンチーニは、すぐには立ち上がれなかった。起き上がろうとしたところ、コース外側の安全な場所へ向かおうとしていた――オランダの地元メディアが伝える事故の経過は、そう記録されている。
その直後にコーナーを立ち上がってきたのが、当時500ccクラスにデビューしたばかりのワイン・ガードナーだった。多くのライダーがウンチーニをギリギリで避けて走り抜けていくなか、コーナーの出口でガードナーの前に現れたのは、避けようのない位置にいたウンチーニだった。ガードナーのマシンのフロント部分がウンチーニのヘルメットを直撃し、ヘルメットは衝撃で吹き飛んだという。ガードナー自身も、この接触でそのまま転倒している。
これは、誰かの不注意や無謀な走りによる事故ではない。コース上に投げ出されたライダーと、コーナーを立ち上がってきたライダーが、避けようのない位置関係で重なってしまった――それだけの、しかし取り返しのつかない一瞬だった。ガードナーにとってもこの一戦は、深く記憶に刻まれる出来事になったはずだ。
ウンチーニはオランダ・フローニンゲンの病院に搬送され、昏睡状態に陥った。意識が戻るまで5日間を要したという。ウンチーニ自身が後年のインタビューでそう振り返っている。このシーズン、ウンチーニが再びグランプリのコースに戻ることはなかった。
同じ年、シルバーストーンでも
1983年という年は、ウンチーニ一人の物語では終わらない。6月に取り上げたロン・ハスラム編第2週でも触れた通り、同じ年の7月31日、イギリスGP(シルバーストーン)では、決勝レース序盤の集団転倒でノーマン・ブラウンとペーター・フーバーの2人のライダーが命を落としている。
アッセンでウンチーニが昏睡に陥ってから、わずか5週間あまり後の出来事だった。500ccクラスの最高峰を走るライダーたちが、同じ年に、立て続けに安全性の壁にぶつかっていたことになる。ウンチーニのケースは生還という形を取ったが、この年がグランプリの安全対策の甘さが厳しく問われた年だったことに変わりはない。ウンチーニ自身が、後年この問題に深く関わっていくことになるのも、決して偶然ではないのだろう。
1984年、レースに戻った男
ウンチーニは回復し、1984年、グランプリのグリッドに戻ってきた。だが、戻ってきたウンチーニは、もう以前と同じウンチーニではなかった。
1984年シーズン、ウンチーニは一度も表彰台に立てないまま終わった。1982年に5勝を挙げてタイトルを獲った王者の走りとは、明らかに違うシーズンだった。1982年のイギリスGP優勝は、結局ウンチーニにとって生涯最後のグランプリ優勝になったとされる。
1985年、最後のレース
1985年もウンチーニはグリッドに留まり続けたが、勝利が戻ってくることはなかった。シーズン最終戦は、8月末から9月にかけて行われたサンマリノGPだったと伝えられる。このレースを最後に、ウンチーニは現役を退く決断をする。
わずか2年前には世界の頂点に立っていた男が、二度とその場所に戻れないまま、静かにレーサーとしてのキャリアを終えた。派手な引退セレモニーの記録は見当たらない。淡々とした最後だったようだ。
王者から、守る側への入り口
現役を退いたウンチーニは、しばらくグランプリの表舞台から離れる。だが彼の物語はここで終わらない。もっとも過酷な形で安全性の問題に直面した元世界王者が、のちにライダーの安全を守る立場に就くことになる――その歩みは、来週のまとめ記事であらためて追いかけたい。
10月はここまで、ウンチーニが頂点に立った1982年と、そのすぐ後にやってきた1983年の事故を見てきた。次週はこの10月の連載を締めくくるまとめとして、王者から安全性の守り手へと歩んだウンチーニの道のりを振り返る。